東京高等裁判所 昭和56年(行ケ)281号 判決 1984年2月28日
原告
旭化成工業株式会社
被告
特許庁長官
主文
特許庁が昭和56年9月24日、昭和52年審判第15919号事件についてした審決を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第1当事者の求めた裁判
原告は主文同旨の判決を求め、被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。
第2請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
旭ダウ株式会社(以下「旭ダウ」という。)は、昭和47年7月11日、名称を「積層体」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭和47年特許願第69480号)をしたところ、昭和52年10月1日拒絶査定を受けたので、同年12月8日、審判の請求をし、昭和52年審判第15919号事件として審理され、昭和54年2月23日出願公告(特公昭54―3499号)されたが、特許異議申立を受け、昭和56年9月24日、「本件審判の請求は、成り立たない」との審決があり、その謄本は、同年10月14日旭ダウに送達された。その後昭和58年7月8日旭ダウは原告に合併解散し、原告が本件出願にかかる特許を受ける権利を承継し、昭和58年12月27日、その旨届出がされた。
2 本願発明の要旨
含金属共重合体Aの基本構成成分が、エチレンと、炭素数が3ないし8のα、β―エチレン型不飽和カルボン酸と、炭素数が3ないし8のα、β―エチレン型不飽和カルボン酸金属塩と、又は更に炭素数が4ないし9のα、β―エチレン型不飽和カルボン酸エステルとの単量体対応単位で示されるものからなり、カルボン酸基、カルボン酸金属塩基及びカルボン酸エステル基などで共通表示される基を有する単量体対応単位のものが1ないし20モル%かつで示される基の内カルボン酸基とカルボン酸金属塩基との占める割合は95より大で100モル%以下であり、しかも前記カルボン酸基とカルボン酸金属塩基のうちカルボン酸金属塩基の占める割合が1モル%以上で10モル%未満である含金属共重合体Aを金属とエチレン系重合体(ただし、α―オレフインエラストマー共重合体を除く)との間に介在させたことを特徴とする積層体。
3 審決理由の要点
本願発明の要旨は前項掲記のとおりである。
ところで、ポリマー・エンジニアリング・アンド・サイエンス第8巻第1号(1968年)(以下「引用例」という。)にはアルミニウム―カルボキシル含有ポリオレフイン―ポリエチレンからなる積層体が記載され、該カルボキシル含有ポリオレフインがエチレン―アクリル酸共重合体(アクリル酸含量2ないし19重量%)であること、該共重合体には中和されたものも包含され、その場合、その中和度が低いほど接着強度が大きくなること、また前記傾向は、該共重合体とアルミニウム又はポリエチレンとの接着においても同一であることが記載されている。
そこで本願発明を引用例記載の技術内容と対比すると、両者は金属―カルボキシル含有ポリオレフイン―エチレン系重合体からなる積層体である点で軌を一にし、本願発明は該カルボキシル含有ポリオレフインにおいて、カルボン酸金属塩基の占める割合(中和度)が特定された重合体を用いる点で引用例と相違する。
その相違点について検討すると、引用例にはエチレン―アクリル酸共重合体を、金属とポリエチレンの中間層として用いた積層体、又はアルミニウム及びポリエチレンのそれぞれと積層した積層体において、該共重合体の中和度が低いものほど、その接着強度が大であることが記載されているから、本願発明の中和度の選択は適宜に行なうことができた範囲内のことである。
そして、本願明細書にはけん化度100%の共重合体の場合に中和度0%のものと本願発明の範囲のものとを比較したものについては示されていないし、前記中和度に関する引用例の記載から、中和度の好ましいものとして少なくとも10モル%未満のものを選択することは容易であるし、仮にけん化度100%の共重合体において、その中和度が1ないし10モル%未満の範囲内にすぐれた効果を奏しうるものがあつたとしても、その範囲は中和度の低い範囲のものに変りはなく、その傾向自体は示唆されている範囲内のものであるから、特別のものとは認められず、前記の中和度の特定にも格別の意味は認められない。
したがつて、本願発明は右引用例の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められ、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない。
4 審決取消事由
審決の要旨認定及び審決認定の技術的事項が引用例に記載されていることは争わないが、審決が本願発明における含金属共重合体(カルボキシル含有ポリオレフイン)の中和度の選択による作用効果の顕著さを看過して、その進歩性を否定したのは、判断を誤つたものであり、違法であるから取消されねばならない。
本願発明において中和度を特定した点は引用例に開示された技術常識を超えるものである。そもそも引用例に示されている事項は、カルボキシル含有ポリオレフインを金属とポリエチレンとの間に介在させた積層体であり、しかも中和度の低いもの程接着強度が大であり、中和度零のとき接着強度が最大となることである。換言すれば、中和すればする程接着強度が低下するのである。
また、右積層体でカルボキシル含有ポリオレフインとして中和度零のものを使用することも既に公知である。このような事実が公知であるから、本願発明のように好んで中和するというようなことを考えつく者はいない。
本願発明において中和度を1モル%以上10モル%未満という特定範囲に限定したものを用いた点に正に発明としての意義があるにもかかわらず、審決が、中和度の特定に格別の意味は認められないとした点は、誤りであるといわざるをえない。
従前通信用ケーブルに用いる被覆材料として、例えばアルミニウムとポリエチレンとの間に接着層として商品名「サーリンA」――エチレン・酢酸ビニル共重合体の2層フイルムを含む積層体が使用されてきたが、該積層体において2層フイルムを接着層として使用することは工程的にも材料的にも複雑となり経済性にも乏しく、またシーム部(添付第3図参照)における接着の面からも改良が強く望まれていた。
右の「サーリンA」――エチレン・酢酸ビニル共重合体の2層の代りに、対アルミニウム・対ポリエチレン共に接着強度の優れたカルボキシル含有ポリオレフインのみの1層を接着層として使用することがフランス特許第1、268、469号により教示されていた(本願公報第3欄1~4行)。
即ち、右フランス特許が開示する積層体はカルボキシル基含有ポリオレフインとして、その中和度が零%の共重合体を中間層とする3層であつた。
しかし、この3層積層体における右共重合体の接着強度は本発明者等の測定では予期に反して小さく、到底工業的に満足しうるものではなく、したがつて従前の積層体に代わることはなかつた(同第3欄4~8行)。
かかる従来技術の有する欠点を、本願発明は中間層に特定の含金属共重合体Aを用いることにより解決したものである。
本願発明が達成する効果について説明すると次のとおりである。
本願明細書に示された実施例及び参考例に基づいて、使用された含金属共重合体の組成、そのけん化度(モル%)、中和度(モル%)、及びで共通に表示される基を有する単量体対応単位の総量(モル%)並びに3層接着強度を表示すると添付した別表の如くである。
別表の被積層物の欄には右含金属共重合体を挟む金属及びエチレン系重合体の成分を表示した。これらを検討すると、後記(い)ないし(は)のことを示している。
(い) 別表に掲示したデータのうち、含金属共重合体の組成がエチレンとで共通に表示される基を有する単量体対応単位の総量がほぼ等しい5.7~6.7モル%であるものを選び中和度(モル%)と接着強度との関係を図示すると添付第1図の如くになる。
添付第1図において実線はけん化度96.0モル%であるものの傾向を示し(本願公報第2図と同一の内容を示すもの)、また、1点鎖線はケン化度100モル%のものの傾向を示す。
(イ) けん化度100モル%の場合について、審決が「本願明細書にはけん化度100%の共重合体の場合に中和度0%のものと本願発明の範囲のものとを比較したものについては示されていない」とした点は誤りであつて別表からも明らかな如く実施例8及び参考例6に両者の比較を行つている。
(ロ) 添付第1図から明らかな如く、接着強度は、中和度1モル%以上10モル%未満の範囲内において、急激に上昇し、最大値を示す。
本願発明により得られる3層構造積層体の接着強度は、参考例6(引用例に好ましい範囲の例として示されるものに該当)よりも明らかに高い。そしてその接着強度のレベルは、参考例5との対比により明らかな如く従来通信用アルペスケーブルにおいて、アルミニウム及びシースポリエチレン双方に良好に接着させるため使用されていた2層フイルムを使用した場合のレベルとほぼ同等もしくはそれ以上であり、本願発明の3層積層体は1層の中間フイルムで高い接着強度を有していることがわかる。
(ろ) 一方、引用例の第43頁第5図及び第44頁第6図、更に「結論」の項の「有効なカルボキシル基を中和すれば、接着性は明らかに低下する。」(第46頁右欄下から3~1行)旨の記載が明らかにしていることは、積層体の接着強度は接着層として用いられるカルボキシル基含有ポリオレフインの中和度の低いもの程大であり、中和度零のときが最大となるということである。要するに、中和すればする程、接着強度が低下するということになる。
このことは引用例第6表の「裏打ちした」アルミニウム―カルボキシル重合体―低密度ポリエチレンの欄の中和度に関する剥離強度値及びこれらの関係を図式的に示す添付第2図からもいえる。このような引用例の記載を基にすれば、3層構造の積層体の接着強度を高めるために接着層として用いられるカルボキシル基含有ポリオレフインを中和する等ということは考えられないことであり、引用例には本願発明の達成する効果を示唆する記載すらなく、むしろ本願発明の効果と逆の傾向すら示されている。
(は) かかる引用例の記載を基にして、審決は「その中和度が1ないし10モル%未満の範囲内にすぐれた効果を奏しうるものがあつたとしても、その範囲は中和度の低い範囲のものに変りはなく、その傾向自体は示唆されている範囲内のものであるから、特別のものとは認められず、前記の中和度の特定にも格別の意味は認められない。」としたが、この認定が誤つていることは明白である。
なぜならば、引用例の記載を基にすれば、添付第1図において中和度零のときの接着強度の点と参考例2の点とを結ぶ点線が傾向として示唆されるといえるのであつて(実線及び1点鎖線で示した如く、本願発明により得られる接着強度は中和度零%のときの値よりも逆に大きな値を示す。)、かかる本願発明の傾向は、引用例に示されていると審決が認定する傾向とは全く相反するものといわざるをえないからである。
このことは、添付第1図と添付第2図とを比較すれば更に明白である。即ち、添付第2図に示す実線は添付第1図に示す点線とほぼ同様の傾向を示している。
添付第2図に示される傾向からは添付第1図に示される中和度1モル%以上10モル%未満の範囲内のピーク効果を予測すらできないのである。
即ち、本願発明は右カルボン酸含有ポリオレフインの接着強度が中和により低下するとの引用例の教示に反して、中和度を1モル%以上10モル%未満の特定の範囲に選べば、右3層構造体の接着強度が反対に大となり、しかも工業的な使用にも充分満足しうることを見出したものである。これは正に予想に反する発見である。
第3被告の答弁
1 請求の原因1ないし3の事実は認める。
2 同4の取消事由の主張は争う。
原告は、含金属共重合体(カルボキシル含有ポリオレフイン)におけるけん化度100モル%の共重合体の場合の中和度が本願発明の範囲(1ないし10モル%未満)のものと、0モル%のものとの比較例として、本願明細書には実施例8と参考例6を挙げている旨主張するが、該明細書に記載のとおり、前記実施例8の共重合体はエチレン―メタクリル酸メチル共重合体(メタクリル酸含量6.7モル%)を苛性ソーダでけん化して得たけん化度100モル%のけん化反応生成物を中和度4.9モル%に中和した共重合体であり、一方参考例6の共重合体はエチレン―アクリル酸共重合体(アクリル酸含量5.7モル%)であるから、両者はその中和度の外にその組成及び成分比の点で相違するものである。
ところで、一般に比較例は問題とする構成以外はすべて同一のものとするのが普通であり、またそれによりはじめて比較例として評価できるものであるところ、前記の実施例8と参考例6とは問題とする中和度以外に、その組成及び成分比の点でも相違する共重合体を用いるものであるから、両者の効果の差異がその中和度の差異に基づくものであるとすることはできず、前記実施例8と参考例6をもつて、前記けん化度100モル%の共重合体の場合の中和度の比較例が記載されているとすることはできないというべきである。
以上のとおり、本願明細書の記載からみて、けん化度100モル%の共重合体の場合に、中和度1ないし10モル%未満の間で効果が奏せられるものとすることはできないから、含金属共重合体(カルボキシル含有ポリオレフイン)の中和度の選択による作用効果の顕著さを看過して本願発明の進歩性を否定した点は誤りであるとする原告の主張は失当である。
以上のとおりであるから、本件審決の認定判断は正当であり、原告主張のような違法の点はない。
第4証拠関係
本件記録中書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
1 請求の原因1ないし3の事実は、当事者間に争いがない。
2 そこで、原告が主張する審決取消事由の存否について検討する。
成立に争いのない甲第3号証によれば、引用例には、カルボキシル基含有ポリオレフイン(含金属共重合体)におけるけん化度が100モル%で、中和度が0モル%から数10モル%の場合の接着強度との関係が、その第5図、第6図に0モル%、10数モル%等の各中和度における接着強度の具体的数値のデータに基づき図示されているが、本願発明の選択した中和度の範囲1ないし10モル%未満における具体的な接着強度については何ら具体的数値のデータをもつて示されていない。そして、結論として「有効なカルボキシル基を中和すれば、接着性は明らかに低下する。」(同46頁右欄下から3行ないし1行)とあり、前記第5図、第6図に図示されているような中和度と接着強度のデータからは、中和度が増大するとともに接着強度は漸次減少する連続的な曲線として両者の関係を把握するのが通常であるから、引用例の記載からは、当業者であれば、中和度が高くなるほど接着強度が低下するものであると認識するのが技術常識であると解される。
ところで成立に争いのない甲第2号証によれば、本願明細書には、含金属共重合体のけん化度96.0モル%の場合の中和度と接着強度の関係について、本願発明の選択した中和度の範囲1ないし10モル%未満において接着強度がすぐれていること、また、けん化度100モル%、中和度4.9モル%の実施例8が、けん化度96.0モル%の実施例と同程度の接着強度を保持することが具体的に開示されていることが認められる。
そして成立に争いのない甲第6号証及び弁論の全趣旨によれば、けん化度100モル%の場合においても、けん化度96.0モル%の場合と同様に中和度1ないし10モル%未満の範囲において接着強度が向上するという効果が奏せられることが推認することができる。
以上の各事実を総合して検討すると、本願発明は、含金属共重合体(カルボキシル含有ポリオレフイン)におけるその中和度の選択により、引用例からは当業者が予測することができない顕著な効果を奏するものであるということができるから、かかる顕著な効果を看過して本願発明の進歩性を否定した審決の判断は誤つており、違法であるから取消されねばならない。
3 よつて、審決の取消を求める原告の本訴請求を正当として認容することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(舟本信光 竹田稔 水野武)
<以下省略>